2014年10月5日日曜日

原稿

先日(9/28)、山梨日日新聞の「時標」というコラムに私どもを取り上げていただきまいしたので、ここで紹介させていただこうと思います。

ただし、一時一句同じとなると、著作権云々がありそうですので、新聞社が修正する前の私が提出した原稿そのままです。

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通称「ひき逃げ」と呼ばれる交通犯罪は、道路交通法にある「救護義務の違反」と「通報義務の違反」であり、「ひき逃げ罪」というものは実際にはありません。

しかし、実際の死亡ひき逃げ事件は、道路交通法だけで裁けるような軽いものではないのです。

 今年5月に施行された新法「自動車運転死傷行為処罰法」では、昨今問題となってきた「逃げ得」の問題を解消するべく、「発覚免脱罪」が新たに設けられました。

「逃げ得」とは飲酒(薬物服用)であった事実を隠蔽するため、事故を起こしたその場を咄嗟に離れ、酒気が治まるまで時間を稼ぎ、検挙または出頭の際には飲酒や薬物の影響を検知できないよう企て、処罰の軽減を謀ろうとする行為を指します。

 逃げ得の問題に対策した法律が作られたことは、被害者及びその遺族の声が法律を動かし、我が国の交通社会にとって大きな前進となった歓迎されるべき事例となりました。

 しかし、私はこの新法に対して矛盾を感じる部分があります。私は、「ひき逃げ」という行為に関して、「飲酒または薬物の服用」と、そうではない所謂“白面”(しらふ)」との間に量刑格差があってはならないと感じるのです。

 「白面」の運転手が、明らかに人を轢いた事実を自覚し、その場を自己保身のために逃げ去った場合、前述の「飲酒・薬物服用」と比して、道徳的に非難されるべき差が両者に存在するのか?それを身をもって考える体験が私にはあるのです。

 2002年当時小学5年生(10才)の長女が、朝の登校途中に交差点の青信号の横断歩道を歩行中、こともあろうに大型ダンプに轢かれ、即死したのです。左折してきた大型ダンプのバンパーで倒され、その上を左前輪と左後輪が娘の体を分厚いランドセルごと乗り上げ、そのダンプは逃げ去っていったのです。

数分後、追跡されて逮捕された運転手は、娘をバンパーで倒した瞬間から、逃げることを優先し、ブレーキペダルを踏まず、何の躊躇もなくアクセルペダルを踏んで走り去ったというのです。しかも人を轢いた事に気付かなかったように見せかけるため、その道路の法定速度である40km/ で走行するという周到な犯行でした。

この時、犯人は飲酒や薬物の影響のない「白面」であったからこそ自身の損得を察したうえで判断した行動であり、追跡されなければそのまま逃げとおすつもりだったと、後に自供しています。

このように、惨い亡くなり方を強いられた犠牲者は、決して私の娘だけではありません。
今年8月に起きた小牧市の事件も、飲酒などはしていなかった大型トラックの運転手による耳を疑う犯行です。400mにわたって自転車ごとひきずられて亡くなった被害者の無念さを思うと、胸が詰まります。さらに加害者はその近辺で証拠隠蔽のためなのか洗車をしていたとは、もはや飲酒や薬物とは無関係の次元で厳正に処罰されなければ、被害者がうかばれません。

飲酒・薬物であってもそうではない場合であっても、ひき逃げに遭って命を落とした被害者の無念さに格差はないのです。

どのようなひき逃げであっても、加害者は逃げたら損をする「逃げ損」になる仕組み作りは出来ないものか?それには、「救護義務の違反」と「通報義務の違反」だけではなく、例えば「ひき逃げ罪」といった新たな罰則を道路交通法の枠の外に設けることが必要ではないでしょうか。

特に、マスメディアに取り上げられる機会が少ない「白面」の輩によるひき逃げも、「飲酒・薬物」と並んで、凶悪な犯罪であることを社会全体で認識することも必要です。

今後の法改正に当たっては、すべての「ひき逃げ」行為に対して、差別のない罰則の適正化を実現し、その上でひき逃げ全体件数が減少する仕組みつくりを行政には真剣に考えて頂きたいと願っています。

2014 08 13



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